前回は小学生の時に起きた、身体の異変をお伝えしました。
・結構走れるじゃん・・・・・・・走れないと思いきや、走れた
・明らかに走りが遅い・・・・・・身体が重い。運動不足か?
・縁側で転倒・・・・・・・・・・力が入りづらい
当時は何が何だか理解できず・・・
自身でも「おかしな症状が出ているな」と思いつつ、
誰にも相談できずにいました。
※しばらくは その状況は続きます。
今思えば、「恥ずかしさがあったのか?」「弱みを見せたくなかったのか?」
単純に「何かの病気だったら・・・」怖かったのかも知れないですね。
何れにしても、このような症状が出れば、先ずは病院へ行きますよね?
私は小さい頃から「大の病院嫌い」で・・・
よく熱を出して、親に連れられ行ってましたが、
何が嫌だったのか?
・注射? 先生? 病院の雰囲気?
何がきっかけかは定かでないですが・・・
ただ、「病院が好き」と言う方も、なかなかいないのでは?!
少し余談となりましたが、
今回は、中学生から高校生時代に起こった身体の異変をお伝えしたいと思います。
この時期は、
・転校したり ・高校受験 ・事故にあったり
と、色んな事がありました・・・。
更に身体の動きに異変が・・・
私は小さい時から多少神経質なところがありました。
少しの「環境の変化」、友達など会話の中で、「余計な事を言ったのではないか?」など、
状況によりけりですが、何かある度、変に自分へストレスをかけ、
酷い時には、「頭痛がしたり」、「吐き気をもよおしたり」と、
時には、「身体が動くなる?硬直する?」ような感覚もありました。
後になって「思い過ごし?」、「何てことない」事に気付くのですが。
今となってですが、これで「よく野球をやってたな」、
「プレッシャーが凄い」のにと、つくづく思います。
ちなみ、中学校での部活、野球はおろか、何部にも所属しておりませんでした。
スポーツ、運動全般は好きでしたが、
「身体の何か・・・違和感的な状態が続いてたせいなのか?」
入部する気にはなりませんでした。
このような思いをしながらも、身の回りや環境、身体の異変が
徐々に?いや、そこそこ早く?転じていきました。
歩くのが少し しんどくなってきたな
中学1年は徒歩で通学してました。
学校の規則で、家から学校までの距離が〇〇km以上でないと、
「自転車通学ができない、許可が下りない」となってました。
私の家は丁度 境目で・・・許可はおりず・・・「何でよ?」
ただ、先輩で帰る方向は同じ、途中 少しだけ帰路が違い、距離的にはほぼ同じなのに、
「許可されている」に納得いかず、先生とよく議論した記憶があります。
今思うと、「どうでもいい、規則だから仕方のない事」、
まだまだ幼く、多感な時期でしたね。
先生には色々とご迷惑をおかけしました。
直ぐに話がそれるんですが・・・すみません。
片手に教科書、ノートなどが入ったカバンに、もう片手には「体操着、弁当」などが入った袋、
両手に持つと結構な重量になりますよね?
それに加えて徒歩通学となれば、余計に重たく感じます。
1学期は まだ平気だったような気がしますが・・・
2学期の後半位から、「だんだんと歩くのがしんどくなってきて」、
自転車通学している友達に、「カバンを持って行ってもらったり」、
時には、「自転車の後ろに乗せてってもらったりと」・・・
※よく先生に二人乗りを注意されました!再度すみませんでした!
挙句の果てには、「許可されてないのに自転車を乗って行き」、
学校の駐輪場でしばらく没収されたりと・・・。
どうしようもないですね。
ただ今思うと、それ位歩くのがしんどくなってたような気がします。
中学1年の通学時、徒歩の状況に関しては、
・1学期は、まだ大丈夫!
・2学期の後半位から、一息には学校までたどり着かず、途中1,2回休憩。
・3学期に入ると、休憩1、2回の休憩では足りなくなっていたような気がします。
「何だかな~?」
自転車こぐの大変
中学2年生になる前の春休み、両親の都合で転居、転校しました。
同じ県内ですが、今まで通っていた中学校よりほど遠い、静かな田舎です。
三方 山に囲まれて、自転車で3、40分程離れた所には、きれいな大きな川が流れてました。
学校はと言えば・・・
当然ですが、「環境、学校、先生」などに馴染めず、最初はかなりストレスに感じました。
幸い友達は直ぐにでき、近所にも数名程 居ましたので、精神的に随分助けられたように思います。
それと、自宅から学校まで結構な距離あり、念願?の「自転車通学」に。
その自転車通学が・・・遠いのもありましたが、何故か?こぐのが意外と
「ペダルが重たく感じて・・・しんどくて」大変。
自転車自体の機能には問題ないのですが、身体にも異変が出てたのでしょうか?
転校する前なんか、友達の家に行ったり、お店に買い物に行ったりと結構活用してましたが、
乗らなかったのが、1、2週間位かな?・・・にも かかわらず・・・
ちなみに乗ってた自転車は80年代に流行った「カマキリ!」・・・もどき。
確かカマキリはブリヂストン製で、他のメーカーが同じような形のもの出してました。
当時はどこ行ってもカマキリだらけだったような。
※それまで、私の周りでは「ママチャリ」が主流でした。
勘違いかも?
おっと、また余談が・・・
転校当初は、通学道を覚えるのと、友達との会話で、
あまり気付かなかったのですが、だんだん慣れてくると、
・しんどいな、足重っ、動きづらいな・・・
と、最初は時々思う事がありました。
・環境の変化か 何かで疲れてるのか?
・やはり運動不足か?
・環境の変化か 何かで疲れてるのか?
・やはり運動不足か?
少しおかしいな?と思ったのが、
・立ちこぎができない!
家の近くになると坂道があって、そこは状況により「立ちこぎ」するのですが、
・それができない。立ち上がる事ができない。
何で?昨日は気にする事なくできてたのに、何で?
それからは、できる日と できない日が出てきました。
「立ちこぎをするにはどうすれば・・・。」
乗りながら色々考えたんでしょうか?うまく説明できないのですが、立ち上がる前に
・走行させてながら、一度 右足?を地面に着け、蹴り上げるように立ち上がる
これが何だか・・・なかなかうまくいって、この手法になれていきましたね。
身体は順応するようで。
ただ周りから見れば、「なんだこいつ!何やっての?」的な動きでしょうか?
見て見ぬふりか?何も言われた事はなかったのですが・・・。
「おいっ、そこはつっこめよ!」
今思えば、何てあぶない・・・
それからは、徐々にその手法もできなくなっていきました・・・。
立ち上がれない?!
ほぼ毎週一度 、週初めかな?全校集会があり、基本は校庭、雨の日は屋内(体育館)でした。
その日は雨、屋内での集会で、話が長くなる場合は座って聞く体勢。
どの位 座っていたのか?・・・30分位かな?
いざ立てろうとすると、膝は立ち上がり状態、腰も途中まで浮くのですが 立ち上がれない。
・痺れたか?力が入りづらいな
確かに多少の痺れはあったものの、何度かチャレンジ。やはり立てれない。
たまたま前の友達がまだ座った状態だった為、
「おっ、お願い!」
・肩を台替わりにして、何とか立ち上がり・・・
実は、これ以前からも同じ状態が時折出てましたね。
それまでは、再チャレンジ、再々チャレンジ、自力で立ち上がってましたが、
この日は、大げさに言うと「早々に尽きた」のか?
トラウマ・・・
この状況依頼、そのまま地面に座るのが極端に嫌になりました。
変な緊張感もあってか?余計に身体が動かなくなるような錯覚にさいなまれ、
・家の中だと 飯台の近くに座るなど、いつの間にか 何か台になる物を探してましたね。
学校では相変わらずの状況で、自力で立てれたり、立てれなかったりと、
精神的、身体的にも そこそこ しんどかったように思います。
・・・「なんか学校へ行くのが嫌だな。しんどいな。勘弁してよっ。」
まだ、誰にも言えない状況が続いてました。
本格的に走れなくて・・・
よく近所の友達宅に遊びに行っておりましたが、近くなので徒歩で、時には小走り、軽く走ったりで。
あまり全力で走る事はなかったのですが。
ある日、その友達宅から近くのストアに買い物に行く事になって、2,3人かな?一緒に、徒歩で。
最初は歩いてましたが だんだんと小走りに、雨も降ってきそうだったので、
皆が走りだした!結構全力に近いくらい。
自分もと、
・必死に走ったのですが、まったくと言っていいほど走れない。
・足が重いな、動かない。
幸い、雨に降られる事はなかったのですが、
「余りにも走れなかった事に少しショックを受けてました。」
走る速さは、それこそ「小走りより少し早い」位かな?
友達には言い訳として、
・足が痛い
とか言っていたような気がします。
実際、以前より何かの動作時、膝の違和感も・・・「ガクガクとなるような」感じでした。
その後、「体育の授業や運動会、マラソンなど」、身体を動かす授業は、
ことごとく休んで(すみません・・・サボって)ましたね。
・足が痛いと言う理由で・・・
また、同時に だんだんと思うように走れなくなっていきました。
この時期、中学生の頃は「身体の異変」に悩まされ、
特に学校に行くのが嫌で、すごくストレスでした。
「早く卒業したいと」・・・。
土間から上がれない、転倒!
転居先の家は、父親の実家で古民家でした。
昔ながらの家で、部屋割りは襖、おまけに外からのすきま風が結構入ってきてましたね。
トイレとお風呂は外。
家内には土間があって、そこにテーブルと椅子を置き、そこで食事などしてました。
夏は暑いし、冬は寒い。自分にとっては最悪の環境でした。
遠い昔はお百姓をしてたとか・・・。
土間から室内に入るには、「高さ約60cm~70cm」はあったような。
段差解消の踏み台もなく、私にとっては結構高かったように思います。
その日、朝トイレに行き土間から室内に上がろうとしましたが、
・力が入らない?上がれない!
あれっ?再度チャレンジ・・・
・後ろ向きで・・・どんっ!・・・転倒
そこそこ?途中まで上がったように思いましたが、
・最後の踏ん張りができなかったのか?
・すっ~と、力が抜けたような感じ・・・
そんな状況だったように思います。
家族もびっくりしつつも、父親からは、
・しっかりせい!
と。
「いやいや高すぎるやろ?」と思う反面、
・おかしいよね?何でかな?
と思ったり。
上がる時も恐々ですが、降りる時も怖かったように思います。
実は、降りる時も何度か、踏ん張れずに転げた記憶があります。
それ以降は、この場で転げる事はなかったように思いますが、
側にあった柱を軸に、手すり代わりに 上がり降りをしてました。
相変わらず、踏み台はなく・・・
・頼むから置いてよ~
今となってですが、自分で設置すれば怖い目に合う事もなかったかな?
毎日 バスの乗り降りにストレス感じて
それから高校生に・・・
高校に進学しました。・・・定時制高校。
本当を言えば、全日制に通いたかったのですが、
当然の事ながら?勉強は好きではなく、それゆえにあまり・・・
いや、まったくできなかったのですが、
それに増して、中学時代の「校則」が嫌で嫌で、
・髪が長い、眉、耳にかかってる・・・少しでもダメ。
・制服の形が・・・(んっ、何とも・・・)
・お菓子を食べた・・・(こっ、これはダメですね。すみません。)
とか、
その他、色々と「えっ?」と思うような項目が多々ありました。
当時の他校も含め、それが当たり前の時代だったと思いますが、
私にとっては、「窮屈で窮屈で!」、何かに付けて反発をしていたように思います。
自己主張ができない、やってはいけないと言うか?風潮だったのか?
そんな中 ある日、仲の良かった先輩にお会いしまして、
中学生当時は、少し「やんちゃ」な方でしたが、
「今・・・高校?、定時制に行っている」と、
久しぶりに会った感じは全然まじめ、仕事をして夜は学校に行き、大学を目指しているとか。
その高校は、校則は さほど厳しくもなく、制服なし(その方は仕事着で通学)、
先生とも色んな事を話し、相談し、理解を示してくれる。
何より、「バイク、自動車」通学が認められていると言う事でした。
その先輩はバイクで通学、その後 無事、推薦で大学に進学しました。
「凄い!凄すぎる・・・あの先輩が・・・(いやっ、失礼しました!)
・もう ここしかないよね!
おっと、前文が長くなりましたが・・・
1学期は路線バスの通学で、時間で言うと片道約50分でした。
入学と同時に仕事も始め、朝は父親の出勤に合わせて同乗させてもらい、
帰りはバス、最終便に乗って帰ってました。
今でこそ、低床型のバス(ノンステップ バス)が多くなってきているようですが、
当時はツーステップ?が主流?、2段になった乗車口の1ステップ毎が高くて、
中には、車体の「中央部から乗車するタイプ」のとは異なり、
「後方から乗車するタイプ」があり、それが、一層高くなっていたように思います。
私が乗車してました車体は、
殆どが「大型のバス(中央/後方 乗車タイプ」で、
それより小さめの「中型タイプ」と3種類位かな?
それなりに問題なく乗降はしてました。
1学期も半ば程になった頃でしょうか。
学校、仕事と共にだいぶ慣れてきて、少し疲れが出始めた時期でもありました。
いつも通りに学校に行き、帰りのバスは中央部から乗車する大型タイプ。
いざ乗り込もうとすると、
・1ステップで足が引っかかった。つまずいた?んっ?
・足が上がりきれてなかったのか?普段は何も考えずに上がっていたのに。
再度試みる。
・上がった!やった~!・・・が、足が重い。あまり踏ん張りが利かない。
と思いつつも、2ステップを上がりきりました。
「疲れなのか?疲れているのか?」
後日もこのような状況が何度かありました。
さすがに、足が引っかかったりや つまずいたり とかは・・・脳裏に残っていたのか?
慎重に乗降はしてましたが、やはり乗り込む時の踏ん張りがどうも・・・
違和感がありましたね。
特に、先ほどお伝えしました、「後方から乗り込むタイプ」で思い出したのですが、
その日は雨で、いつも通り最終便で帰るのですが、そのバスが・・・
何か嫌だなと思いながら乗車、やはり1ステップが高く感じる。
・やっぱり上がりづらい。
片手に教科書などが入ったカバン、もう片手には傘。
それを、ステップ最上の床に置き、いや、その時は必死で、正確には投げ入れたような・・・
・手すりにつかまりながら「何とか かんとか」・・・。
この日は幸い 他の乗客は居なく、貸し切り状態でしたが、運転手はビックリしたのでは?
でも、何も言われなかったし、私も何事もなかったように座席へ。
このタイプのバスは さほど多くはなかったのですが、1週間に1度位 乗車してました。
中型も稀にありましたが、その時は「ラッキー」位に思ってましたが、
後方 乗車タイプが来ると、
「あっ~、乗れるかな?」。気分的には毎日が戦いでしたね。
路線バスでの通学は1学期まででした。
とりあえず夏休みにバイク(原付:50cc)の免許を取得し、
2学期からはバイク通学に切り替え、とりあえず、その戦いは終息しました。
バイク事故・・・
バイクは最高!
学校が終われば時間に束縛される事なく、直ぐに帰れる。
何より、移動距離はともかく、好きな時に好きな場所へ行ける。
当時は、50ccのバイク、スクーターが流行っていて、各メーカーが競うように、
多種多様の機種を供給されてました。
私は少しばかり「カスタム」をしたりして、楽しんでましたね。
あくまでも?合法の範囲で・・・!
しだいに周りの友達が中型免許(普通自動二輪車)を取得するようになり、
私も何れはと思いつつ、1年程経ちました。
夏、お盆の時期でしたが、「遂に中型免許を取ろう」と、自動車学校に申し込みをする前日、
その日、バイクで出かけての帰り、結構渋滞していたのですが、その横を入ってました。
・ドンっ!ガシャガシャガシャ!
一瞬、何が起こったのか?
気が付くと、私はバイクと共に倒れてました。
・何か突っ込んできたか?
・あっ、立ち上がらないと・・・
次の瞬間、右足に今まで経験した事のない「激痛」が・・・、
・うわっ、まじ痛っ!動けない。
と言いながら、のた打ち回ってました。
既に手配して頂いてた救急車が到着、近くにあった総合病院へと・・・。
検査は何をしたのか?よく覚えてないのですが、一通りが終わり、結果、
・右膝 両関節(大腿骨:だいたいこつ?/脛骨:けいこつ?)の複雑骨折。
レントゲンを見せて頂きましたが、確かに関節がぼろぼろになってました。
当然、手術が必要との事で・・・あちゃ~。
事故の原因は、
右折しようとしていた車が、渋滞中に間があった為、入ってきた時に私が通りかかったと。
車のバンパーが、私の膝に直撃したのではないか?との事でした。
「そりゃ、痛いわ!」
この時、「全治、完治」は解らなかったのですが、
・入院期間は約3ヵ月でした。
入院中、退院後もリハビリを約1年半位してましたが、
・正座が出来ず終い(完全に曲がらない)
・右足も少し引きずってました。
医者からは、
・若い時は良いけど 年を取るにつれ、膝が痛くなったり、
それに伴い動かなくなる事で、筋力低下が生じる可能性がある
と・・・。
この言葉が、後の病気との関係性、私の思い込み、私見も入り より複雑にする事に。
※事故と病気の関連性はなく、又、誰が悪い訳でもない事は 重々理解しております。
ちなみに、一瞬の事で覚えてないのですが、
たぶん頭も打ちましたが、ヘルメットを被っていた為 大丈夫でした。
ですが、ヘルメットは傷だらけでした・・・ヘルメットも私も深い傷が・・・。
まとめ
・自転車をこぐのも大変・・・・・・こぐのもしんどくなり、立ちこぎさえもできなく・・・
・立ち上がりづらい・・・・・・・・補助台などが無いと厳しい
・土間から上がれない・・・・・・・力が入らない?上がれない!
・本格的に走れなくなってきた・・・原因は分からず・・・膝の違和感があり
・毎日 バスの乗り降りにストレス感じて・・・・・高い段差ほど踏ん張り辛い・・・違和感が
・バイク事故・・・・・・・・・・・この事故で病気の判明が一層遅くなった?
徐々に身体の不調が出てきているのですが、
まだ、日常生活ではそんなに不自由を感じてはいなかったような・・・。
それとも、「おかしい」と思いつつも、見て見ぬふりをしていたのか?
不調を不調と思いたくない。
何かに付けて逃げに走っていたような気がします。
そんな中の「バイク事故」・・・。
先ほどもお伝えしましたが、
・身体が動きづらい。筋力低下
などは、事故にあってから あまり「過度な運動、動作」などはせず、
どこか自身で制御していたように思います。
特に、骨折した側は負担をかけないように・・・とか。
病気と診断されるまで、
身体が動きづらくなってきたのは「事故」により、
「身体を動かさなくたったからだ」、「より一層 運動不足だ」
と、自身に言い聞かせ、かなり私見が入っていたような気がします。
次回・・・二十代の異変:前編
次回からは、二十代になってからの異変をお伝えしたいと思ってます。
・出張先での階段が辛い
・砂利道での歩きが進まない
・茶の間からの立ち上がり
18歳で即 車の免許を取り、高校を卒業、いよいよ本格的に仕事を始めますが、
やはり、着実に徐々に身体の異変が起きてきます。
私にとっては だいぶ昔の事になりますが、
記憶に残っている事を、できるだけお伝えできればと思います。
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